茶話会しましょ

まったり、ふんわり徒然なるままに

感情に蓋をすると

感情は自然に浮かび上がるものだけれど、必ずしも自覚されて、適切に処理されるものじゃない、というお話。

に、なると思います。

曖昧な書き方をしましたが、私自身が体感して知見を元に語れるお話と、知識として収集した情報を元に理論展開するお話がありまして。

感情に蓋をする関連は奥が深く、私も蓋をしている感情はあるのですが、まとまった体系のお話として書ききれる自信がないから、だったりします。

じゃあしっかりとまとまるまで構想を練りなさい、とおっしゃる方もおみえでしょうが…この「蓋をする」という部分に対して、私の中では揺るがない方法論が確立しているようでして。

簡単にいうならば、ある程度自動化がされているので、ドロドロした感情がある(あった)こと、ドロドロは蓋をされて漏れることなく保管されていること、の原因と結果は認知しているけれど、過程は認知できない深層心理に隠れてしまっているのです。

 蓋を開けることでみえてくるものもあるのでしょうが…大きなリスクを伴う行為になるので、必要だと判断する時が来なければ、開けるつもりはないんです。

この後詳しく説明するつもりですが、蓋をしたままで発酵・熟成しているならば、開けずにいた方が生きやすくなる場合もあるので。 

 

さて、前置きが長くなりましたが、ここからこのお話の主題に入っていきたいと思います。

何がしかの現象が起こると、意識が清明である限りは、脳機能に障害がなければ、現象は出来事として私たちの中にインプットされます。

その際、自覚の有る無しは別として、何かしらの感情も生まれます。

食べ物が出てきた→お腹すいた食べたい、またはお腹いっぱいだから不快

音が聴こえる→キレイなメロディだなぁ気持ちいい、またはうるさくて集中途切れたイライラする

簡単で単純な例を挙げましたが、こういった感情の動きに敏感で、色々な刺激に反応しやすい人を感受性豊かな人と言ったりします。

忙しいとか、特定の何かに集中しているとか、疲労で眠気があるとか…心にゆとりがないと、感情は生まれていても自覚することなく、当人も気付かないまま処理される。

これが自動化です。

自覚の有無があまり重要ではない感情は、こうやって処理されていく、と私は考えます。

 

書いていて自分でもまとめるのが難しいなぁと再確認していますけれども。

色々な感情を受け止めるには、心に余裕が必要なんだと思っているわけです。

なので、余裕がない状態で長年過ごしていると、自覚する感情がどんどん少なくなっていく…感受性が低くなっていくのではないか、と。

表出が苦手な人は、周りがよく見えているので感受性の豊かな方が多いのと比較して、自分の感情がわからないと訴える方は、何か別の内面的な感情に対して意識を向けている方が多い。

良し悪しではなく、接しているとそう感じる機会が多い、という私の印象です。

それだけ辛く大きな問題を抱えて、感情を麻痺させるしかなかったんだ…と、私は捉えています。

長年にわたって麻痺していると、どんどん「わからない」が増えていく。

世界と自分がかけ離れていて、自分が居るという実感がなくなっていく。

本当の「あなた」は豊かな感情を持っていて、そこに存在しているのに…苦しいですよね。

この解離した状態が、他者との関係性をつくっていく上で大きな障害となって立ちはだかるのです。

 

ここまでにお話したのは、感情の自動処理と感情を切り離すケースのお話です。

さらに別の方法として、蓋をするケースがあるのです。

感情がドロドロしていて抱えて処理するには辛すぎるけれど、麻痺させて切り離すこともできない。

自己の形成に関わる大きな問題に起因した、自分だけではどうすることもできない問題が多いように見受けますが。

例えば両親との確執があり、否定できないのに消化もできない怒りやかなしみとか。

恋愛に伴う大きな喪失をきっかけにして生まれた、埋めることの不可能な絶望とか。

自分の本質に関わるけれど、他者との関係性が拗れて溢れてしまった感情に、蓋をしてしまう。

蓋をする感覚がわからないという方もみえるかもしれません。

私の場合は、その感情を木の箱または樽につめて密閉して、水深10m以上で川幅30mの流れのはやい川向うに置いてある状態だ、と説明しています。

必死で取りに戻ることは可能だけれど、危険だらけの場所を越えないと触ることすらできない場所。

そこに、密閉して置いておく…それくらい深い深層心理へと、沈めてしまうのです。

こうして蓋をすると、その中身に関連する感情は自覚されにくくなります。

 

蓋をした感情ですが、長年放置することでどうなるのか?

当人も押し込めて放っているのでわからない訳ですが、おそらく2つのパターンが考えられます。

まず、密閉された中でグチャグチャになって腐ってしまっている。

この場合は本人も自覚のないまま、生きにくさを助長する原因になっています。

蓋をしたはずなのに、漏れ出てしまう何かが影響して、本人や周りの人を苦しめてしまっている状態です。

もうひとつが、中身が発酵・熟成されて、本来のドロドロしたものとは別のものへと変化している。

ワインやウイスキーを熟成するように、放置したことで良い結果になるパターンです。

蓋を開けていないので、誰にも中身はわかりませんが。

専門家であれば、当人の生活や他者との関わり方を通して、ある程度予想することが出来るのではないかな?

 

さて、具体的でわかりやすい説明からは遠くなってしまいましたが。

以上の大まかなパターンが、感情に蓋をする関連に対する、私の考えです。

最初に書いた通り、私が実感していることと収集した知識を織り交ぜて展開しました。

これはあくまでも私の考えであり、全ての人に通用するものではない、と思ってもいます。

表出が苦手な人も同様です。

余裕がない状態だと、自分は何なんだろう?どうしてこうなの?誰もわかってくれない…なんてグルグル悩んでしまいがちです。

私の考えを提示することで、誰かの思考整理のヒントになったり、少し落ち着くきっかけになったら。

そんなふわっとした気持ちで、お送りしました。

もう少し踏み込んだお話をする余力は、今はないので…取り敢えずここまで、ということにします。