茶話会しましょ

まったり、ふんわり徒然なるままに

ちょっとした「ありがとう」

自分で思ってる以上に、感情の表出が苦手…っていうか、周りの人に伝わりにくいのかな?

なんて考えてますけども。

普通にね、悩むし落ち込むし、グチグチ言ったりグルグルしたりもあるんですよねぇ。

それを外に出すってなると、何かが全力で押さえつけてくるので、言葉にしたり誰かにぶつけたりを躊躇しちゃうだけで。

たまに見せないからすごいねって言われますが、すごくないです。

そこに抑圧がかかってるってだけなんですよ~。

 

さて、先日Twitterにて呟いたんですけれど。

「ありがとう」を、出来るだけ伝えるように心掛けてます。

ちょっとね、説明を端折ってしまったんですよねぇ。

なので改めて、ブログでも書こうかなと。

興味持ってくださる方は、しばらくお付き合いくださいませ。

 

私が「ありがとう」を意識するのは、口癖が「ごめんなさい」だからです。

悪いことをした時や、誰かを傷付けてしまったときの「ごめんなさい」は、当然言った方がいいと思うんですよ。

謝罪することって、あまり良くないという考え方の地域や風習のところもありますけれど。

日本では察することを求められる文化が定着しているのでね。

意地を張ってしまうより「ごめんなさい」と伝えて、関係の改善を図るのがいいなぁと思います。

でも、私の「ごめんなさい」はその例に当てはまらない部分でして。

劣等感や一方的な罪悪感から、相手との関係の為にじゃなくて、自己弁護のためにいう「ごめんなさい」なんです。

よくあるのが「我儘でごめんね」って、要求を通したいときに添えてしまう。

相手が何か反応する前に、先回りして謝ってしまうんです。

無意識にやっていることも多くて、後から気付いてしまった!ってなります。

他にも、過去に自分が傷付いた状況に似た状況だと、相手のことも考えないで謝ってる私がいます。

過去の失敗体験に引きずられて、目の前にいる人じゃない、想像の中の「怖い人」に向かって、謝ってる。

 

逆に、そういう架空の「恐怖」に引き寄せられて、私に対して必要以上に謝る方と接する機会もあるんですが。

そういう方とコミュニケーションしていると、私は怒ってもいないし、その人に困っている訳でもないので、少し困惑してしまうんですよね。

何度かそんな経験を繰り返しているうちに、「ごめんね」だけじゃなくて、その後に「ありがとう」を付けてもらえると、お互いに楽になることに気付きました。

私に謝っているようだけれど、見えない誰かに謝っているんだな。

自分でも嫌だけど、どうしてもやめられないんだな。

でも「ありがとう」は、私に向かって言ってくれたな。

そうお互いに確認できることで、コミュニケーションすることへの緊張感が緩和されるというか。

謝り続ける本人も、必要以上のマイナス感情に緊張しているし。

謝られる方も、心当たりがないので気まずさを抱えてしまう。

そのお互いにあまり望まない緊張状態が「ありがとう」のひと言で、少し改善されるんですよね。

 

私も反射のように「ごめんね」って言ってしまうので、なかなか治せない。

なので、つい出てしまう「ごめんね」の後に「ありがとう」を付けられたら、ちょっといいかも?って思うようになりました。

自分が意識して「ありがとう」を増やしてみたら。

意外とね、不必要な罪悪感が、薄れていくことを発見しました。

「ごめんなさい」を言いながらも、失敗体験を強化してしまっていたんだなぁ…抜け出したいのに、負のループにハマってしまっていたんだなぁ。

そんな風に思い至って、さらに「ありがとう」の大切さを実感して。

今でも「ごめんね」は出てしまいますが、以前ほどの苦悩は無くなった気がしますし。

「ありがとう」のひと言だけで、失敗体験にならないならとってもお得!笑

 

少し自分の中で余裕が生まれると、もう少し見えてくるものもありました。

「ありがとう」って言われて怒る人はいないんですよね。

多少戸惑う人もいますが、決して悪い感情は持たないのです。

なので、人見知りだったり焦りだったりといった、コミュニケーションするときの壁が、少し低くなるんです。

良い効果が増えると、視野も広くなるし、本心からの「ありがとう」になっていく。

魔法の言葉みたいですね笑

なので、私は「ありがとう」って思ったら、どんなにちっちゃいことでも、伝えられるなら伝えるようにしています。

うるさいなぁって思ってる方もいるかもしれませんけれど笑

 

たいしたことでもないお話ですが。

呟きだけでは説明不足だったなぁと感じていたので、こうして記事にした次第です。

お付き合いくださった方はありがとうございました!