茶話会しましょ

まったり、ふんわり徒然なるままに

感情の表出が苦手って?

感情の表出が苦手だと書いたんですが、少し詳しく説明できればと思います。

 

まずは心といわれるものについて、私的見解を。

心とは感じている感情そのものと、その感情に付随して存在する思考・行動だと、私は考えています。

感情は自己コントロールできるものではなくて、自然に発生してしまうもの。

嬉しい・怒り・哀しい・楽しい…色々な感情があって、自覚するかしないかは別にして、誰もが感じるものです。

感情が発生したときに、どう自覚するかの部分が、私の考えている付随する思考です。

嬉しいから喜ぶ・怒りがあるから怒る・哀しいから泣く・楽しいから笑う…この思考・行動がないと、感情はひっそりと気付かれないまま、抑圧として溜め込まれるのではないかな。

自然に浮かぶ感情と、その感情を自覚するための思考・行動。

セットになってはじめて、心は健やかに息づくと思っているんですよね。

 

私の「表出が苦手」という状態は、感情に気付かない状態とは少し違います。

(感情を自覚しないまま蓋をしてしまうのも大変に苦しいと思いますが、詳しくはまたの機会に)

感情は自然に発生して、私がどう感じているかはわかっています。

でも、感情を自覚するための思考・行動に移す際に、抑圧及び抑制をかけすぎてしまっている状態…だと考えています。

抑圧は無意識化でかかるブレーキで、抑制は意識しながらかけてしまうブレーキだと思ってください。

表出を苦手とする人は自分の感情と思考・行動にズレがあるんです。

ズレを生んでしまう原因は様々として、このズレが大きくなればなるほどに生きにくく、辛くなっていく。

健やかでありたい心が、ズレによる痛みや苦しさに悲鳴を上げている状態です。

ですが、抑圧や抑制が邪魔をして抑え込まれてしまっている。

表出が苦手な人の特徴が、自覚があるが故にギリギリまで我慢しようという理性が働く、ということです。

発散もできず、苦しいとわかっていながら我慢する…逆説的に説明するならば、わかっているからこそ、抑制がかかりやすい状況に自分を追い込んでいきます。

いつか収まるなら、昇華・消化できるなら良いのですが、感情はそれほど単純ではありません。

苦しみを抱えたまま、平気なふりをしている人が多い、と私は思います。

 

ズレを生んでしまう原因は本当に様々だと思いますが、いくつか例を出してみます。

・このお菓子おいしくてとっても嬉しいけど、子供みたいにはしゃぐのは恥ずかしい

・頼られても正解なんてわからないし、私も泣きたいけどこの人が困ってるからしっかりしなきゃ

・こんな理不尽に攻撃されるのは嫌だけど、やり返すのは大人げないから受け止めよう

・私を好きって言ってくれてるから、嫌われたくないから、浮気されて泣きそうな自分は隠しておこう

・合格して嬉しいけど、不合格の人がみたら自慢してって思われるかも。だから喜ばないで静かにしていよう。

・こんな不満を言ったら気を悪くするかな?私が我慢すればそれでいいよね。

表出が苦手な人は、周りのことがよく見えている人が多いです。

自分ではなく、他者を優先する思考が定着している人でもあります。

それは素敵なことだけど、必要以上に周囲の目や世間の常識に囚われやすい人でもあります。

相手も同じように優しく配慮できる人なら良いけれど、自分の利益を優先して、我慢だけを押し付ける人もたくさんいるのが世の中です。

苦しんだ人が損をして、どんどん追いつめられる状況もよく見かけてしまうんです、残念ながら。

 

表出が苦手になってしまう要因もまた、様々だと思います。

私は心理学の専門家ではないので、詳しく説明はできませんが。

ひとつの指標としてよく言われているのが、幼少期の愛情不足による愛着障害や愛情飢餓が根底にあるとか。

愛情不足と書きましたが、両親を悪者にすれば良いということではありません。

「愛されたい」気持ちが満たされなかった場合、その欲求を不安定な形で表出する人もいます。

攻撃性に転嫁する人もいれば、依存して補う人もいる。

その中で満たされない気持ちを耐える方向にもっていく人も、また存在するのです。

「耐える」を選択した人は、他者への依存心が低くなります。

心の底では助けてほしいと思いながらも、自分で何とかするのが当然になるのです。

繰り返し耐えて、我慢して、自分で自分をつくり上げていくうちに、表出が苦手になる。

他者への攻撃ができる人や別の形をとることで表出できる人とは、ここが大きな違いなのですが…ある日突然、限界が来るまではひたすら気付かれないようにします。

一見すると頼りがいがあり、しっかりした大人にみえる人が多いのです。

周囲がよく見えているので、限界まで頑張って期待に応えようとする。

何が言いたいかというと、気付かれにくい為にサポートを得られる機会が、ほかの特徴をもった人よりも極端に少ないということです。

 

表出が苦手な人は、孤独に慣れています。

独りで考えて独りで結論を出し、独りで解決することに慣れざるを得なかった人です。

私の場合も、誰かに頼ることはとても苦手です。

ある人には信頼を寄せていますし、ほかの人に対するよりは甘えたり頼ったりを自ら行えていますが、それでもやはり苦手意識が出てしまうほど。

この特徴が駄目だとは思いません。

他者を優先できることも、視野が広いことも、自己解決できてしまうことも、素敵な個性です。

ただ、本当に助けがほしい時に辛くなりやすい。

 

私に上手な解決策の提案はできません。

克服方法をお伝えすることもできません。

私の場合は時間をかけて折り合いをつけ、完全ではないけれど対処しながら生きてきました。

今からこの特徴をなくして、別人として人生を生きていこうとは思っていません。

だから、悩んでいる人がいたら「ひとりじゃないよ」と伝えたい。

手を伸ばしてみようと思えたら諦めないで。

助けることも救うこともできないけれど、私でも話は聞ける。

話すことでは何も変わらない、でも、話すことで楽にはなります。

これは実感としてもっているので、私は話を聞くことをためらいません。

あなたにも頼れる人がいますように、出来ますように。

同じように表出が苦手な方に、少しでも伝わったら嬉しいです。