茶話会しましょ

まったり、ふんわり徒然なるままに

自己嫌悪についてのその後

自己嫌悪のその後を記事にまとめようと、ずっと思っていたんですが…ちょっとね、焦らし期間に強制突入していて、思考が働かなくて。

うん…単に言い訳なんですけどね。

恐れずに言うならば、イキたい欲求が強すぎて、疼いて悶えている時間が長すぎて、まともに考える気にならなかった、みたいな。

まだ絶賛焦らし期間なんですが、軽く1回イく許可が出て、少し落ち着いたので…書き始めようかなぁと思います。

 

自己嫌悪について掘り下げた後に、お相手に少々時間をつくってもらいました。

私がグルグルしていることや、お話できるまでに揺れまくって不安定になっていたことは、把握してもらっていたんですけれど。

暴発というか、我慢できずにキツイ言葉をたくさんぶつけてしまっていたので、さすがに多少は言われるかも…なんて考えてもいたんですよ。

実際は怒ることもなく、話を聞いてくれました。

そしてタイミングが悪かったことについては、謝ってくれまでして…申し訳ないと思いながら、私のけじめとして、ひとつ約束すると宣言をしました。

おそらく私の放った言葉の中で、1番彼を削ったであろうフレーズがあって。

その言葉を言わないと誓うことは難しいので、彼に対してはそれを言わない、言ったとしてもあなただけは対象にしないと約束する、と伝えました。

特に意見をもらったわけではないので、お相手がどう捉えたかはわかりませんが。

今回はあまりにもフェアじゃないと思っていたので、私に考えうる最良の手段がこれだったんです。

この約束を伝えるために、時間を取ってもらったと言ってもいいくらいに、私にとって必要な事なんだと考えています。

 

わぁーっと感情のままにぶつけてしまったものの、お話するまでに時間があったので。

私なりに思考の整理をして、キッチリと自分の考えを話せる、冷静な状態での会話となりました。

何に対して不安なのか、どう対処してほしいのか、折り合いのつけ方と、けじめとして伝えたい事。

話す予定でいたことは全て、ちゃんと説明できて、お相手にも伝わったと思います。

解決できない問題や、私とお相手との考え方や価値観が違う部分についても、多少のすり合わせが出来たんじゃないかなぁ。

何度か謝ったんですが「基本的に訳わからないこと言う人じゃないでしょ。それでも言うってことは、何かあるんだろうなと思ってた」と言われました。

そう評価してもらえるのは嬉しいけれど、無用に傷付けてしまったことに対する罪悪感は、簡単には消えません。

なので、無理だとわかっていながらも「叱ってほしいけど、叱ってくれないでしょ?」と聞いてみたんです。

「必要なら叱るけど、ちゃんと自分で気付いてわかってるでしょ?叱る意味ないじゃん」

これは優しさでもあり、厳しさでもあります。

叱られるということは同時に、許されることでもあるからです。

私の気を楽にする為だけには叱ってくれない。

気付いて罪悪感を持って、悩みながらも自分で抜け出す方法を考えたんだから、逃げるのではなく立ち向かおうという暗喩でしょう。

分かっていながら確認した私も甘いんですが、的確にくみ取って厳しくしてくれるところが、まさに私が欲している「強さ」の象徴です。

こう言える人を求めて、ずっと探して、見つからなくて。

私自身がなろうとした時期もあったけれど、なれなくて苦しんでいた。

優しさの中の強さ・厳しさ…私が頼る意味が、これです。

自分で自分の考えを整理して、前を向くための方策を考えて、実行する。

そのプロセスが出来ない訳じゃないけれど、私は途中で甘えが出てしまう。

必要ない逃げを選ぼうとしたとき、単なる甘えにどっぷりと浸かろうとしたとき、軌道修正してくれる存在を欲していたんです。

 

私が私の内面について話すとき、彼はほとんど口を挟みません。

質問という形で問いかければ、多少の返答はくれますが、指摘したり課題を出すようなこともありません。

またあまり褒めることもしないのです。

表出が苦手で、独りで解決することに慣れている私を、よくわかっています。

たまにもっと甘えたいと感じることもあるけれど、それは別の形で補ってもらう方が、私に合ったスタイルでしょう。

少し掘り下げたときに話したんですが、私にも根底に大きな負の感情が眠っています。

いくつかキーワードが出てきてはいますが、蓋を開けるべきかどうか、判断がつかない類のものです。

現状、私は安定している。

突発的に限界がきて、今回は暴発までいったとはいえ、それは信頼できる人に対してオープンにしていることの証でもあるのです。

頼りにしている人には甚大な被害がありましたが、それ以外の他者や生活にたいしての被害は、ほとんど無い状態で解決までもっていきました。

自己の確立がすすんでいるので、蓋を開けたことで全てが崩れてしまうような状態は避けたい。

おそらく、密閉した中で腐ってはいないんでしょうねぇ。

なので開ける必要があるのか?を、真剣に吟味しなくてはならないんですよね。

一緒に確認をしながら、私も理解したうえで、ゆっくりと探っていく。

それを見守ってもらいつつ、甘えが出そうになったら軌道修正してもらう。

このスタイルが基本になるだろうと思われます。

 

半月ほど自己嫌悪の底に沈んでいましたが、結局はこんな解消となりました。

今回の一件で、思っていた以上に甘えたい…頼りきってしまいたいという欲求が消化しきれていない事がわかりました。

その甘えたい欲求を性的な方面で埋めつつ、私が私を認めて、受け止めて、受け入れる。

そう…このブログ内では、まだ記事としてまとめていませんが。

私は他者に認めてもらいたいのではなく、自分に自分を認めてもらいたいんですよねぇ。

この辺りは、もう少し落ち着いて掘り下げる機会が、そのうちやってくると思います。

実はまだ、とっかかりが見つかっただけで、考えてもいないし頼れる人に話してもいないので。

先は長いなぁと思いつつ、全てを自分でやるのではなく、求めていた「優しくて強い」人が味方だという事実を忘れずに、少しずつ進んでいきたいと思います。