茶話会しましょ

まったり、ふんわり徒然なるままに

最後

追いかけたかった。

ずっと、見ていたかった。

尊敬してて、大好きで、私より前を全力で走ってて…。

もう、まっすぐにみれない。

何もないし「誇れる私」もグチャグチャにした。

なんの貢献もできず、息をして有害なものを撒き散らすだけの存在になった。

絶対にするまいと思って、自分で戒めていたのをいくつか破ってしまった…。

だから、私は本当に価値のない存在に成り下がった。

もう、意味ない。

仮想の世界にも、現実の世界にも必要なくて、むしろ邪魔で有害なだけ。

私は居なくなればいい。

 

後悔ばかりの人生だけど、追いかけた人だけは前を向いてる。

私が追いかけて、目指したのがあの人で良かった。

新作舞台…みれないのが心残り…なのかもしれない。

私は消えても、変わらないとわかっている。

だから、愛してる。

この気持ち…吐き出したくて、ここに。

誰よりも強くて、妥協しない人に。

ありがとうを。

まもりたい~フェーズが変わったよのお話~

大変ご無沙汰しております。

ずっと書かずにいたのですが、書きたくて仕方なかった!

浮上していなかった間のお話やら、私の内面変化のお話やら、現在の心境やら…書きたい事がたくさんです。

こういう自分語りは、Twitterでは出来ないししたくない。

ということで。

とっても長くなると思いますし、まとまりがない文章になるでしょう。

が!今は気にしないで書いていきます(笑)

 

 

 

まずは、2月に舞台を観劇して。

私が10年以上つかみたいと思い続けて、つかめないで追いかけ続けていた「何か」をつかんだお話から…かな。

これまでの記事や呟きにて、私は「強い自分」にこだわり続けてきました。

その辺りのお話です。

私は自身の中に、とてつもなく大きな「孤独感」を抱えています。

理由も、経緯も、複雑に絡み合って原因究明とかする気もないんですが。

この「孤独感」が抑圧されて、私の「恋愛」が大きく歪んでいます。

専門ではないので確証はありませんが、愛着障害もあるんじゃないかな?

私が誰かを恋愛感情で「愛する」とき、執着と依存と不安と束縛という…厄介で、ひどく歪で傲慢な、感情先行の気持ちをぶつけてしまいます。

昔はその自覚もなく、自分の愛し方が歪んでいるとも思わないで、恋愛をしていました。

私の「孤独感」を一緒に背負って、私を寄り掛からせてくれて、導いてくれるのが当然だと思う。

そんな押し付けをするのが恋愛でした。

当然、うまくいくはずもありません。

私の恋愛はことごとく失敗体験に繋がって、どんどん歪んでいく。

これはもう、難しいのでは?

そう感じた私…ここからがかなり突飛です!

たいていの人は、諦めて妥協するとか、似た価値観の人を探すとか、自分磨きをして魅力的になって、選んでもらえる女性になるとかすると思うんですが。

私はね、私を背負える人がいないなら、自分が自分の理想とする人間になればいいんじゃない?と考えたんですね。

 

はい?

何を言ってるの?

意味が分からない。

そう…この突飛な思考に付いてこれてない方も多そうですが。

私は恋愛として相手に求めていたことを、自分に求めてしまったわけです。

幸いなことに、理想のモデルがありました。

計…5年くらいかな?私は「強い私」…理想の私になるべく、生きていくことになります。

イメージがわかない方の為に、少し例え話。

私自身が「明城こう」のような、選ばれた側の人間になってしまえ!と思ったわけですね(笑)

別に女の子を侍らせてハーレムしたい訳じゃないですよ~。

SMと心理屋でお金を稼ごうとした訳でもないですよ~。

男性陣の性的なコンサルがしたかった訳でもないですよ~。

こんなヘンテコなお話に付き合ってくださってる方に、わかりやすくこうさんで話してみたんですが。

いわゆる「偶像」として存在しているような、言葉はアレですが怪物になろうとしました。

私のロールモデルがそういう人だったので…ね(笑)

ただ、これが半端じゃなくきつかった!!!!

この5年間で、私は「抑圧オバケ」に進化したんですよねぇ。

ひたすら強いを目指すけれど、私は強くなりきれず。

それでも諦めないので、あらゆる感情を抑圧していく。

私はその器ではない…と結論を出すまでに、かなりの時間と労力を費やしました。

 

見事に「抑圧オバケ」になった私は、ようやくなれないと気付きます。

じゃあ私はどうしよう?

以前のように恋愛相手に無自覚に求めるのも無理。

自分がなるのも無理。

どうしたら私は幸せに、日々を生きていけるの?

そんなのをうっすら考えている中で、こうさんに出会ったわけですね。

この話、どこまで続くんだ???(笑)

強い偶像のようにはなれないと気付いたからといって、簡単に止められるものではないです。

強いのに無理があるので、優しいを追及しながら優しいと強いを併用する…みたいな、訳わかんない戦略をとっていた私。

プライベートの大きな状況変化もあって、こうさんに依頼します。

ここから、こうさんと「抑圧オバケ」との死闘が!

…はじまったら、それはそれで面白かったかもしれませんね(笑)

まぁそんな面白い状況は発生することもなく。

私は抑圧を抱えたまま、色んな人と絡みつつ、自己の掘り下げをすすめていきます。

過去に記事にもなっている「気付き」や「変化」を重ねて、私は何かがつかめそうな気分で舞台を観劇したんですよねぇ。

~第一幕はここまで~

 

いやぁ…長かった!

私がつかみたかったのは、私が強い私を諦めて、次のフェーズに進むための最後のピースでした。

私の中で出来上がっていた、怪物のような存在。

強くて何にも負けず、機械のようにキレイに完成されて、自己完結している人物像。

そんな怪物も人間としての苦悩と、生への執着と、何よりも他者との絆という「居場所」があって、成立している。

そのピースがつかめて、ようやく私は、私が間違っていたんだと認めることが出来ました。

結果、私は強さを追い求めて自罰的な追い詰めをしてしまう自分の癖を受け入れて。

必要以上に揺れを怖がる自分を自覚して。

そんな自分を、少し許せるようになりました。

はい、おしまい。

 

 

だったらいいんですけれども(笑)

これは序章です。

ここから、怒涛の大変革が待っていました。

私自身のことだけでお話が完結しないので、詳しいことは書けないのですが。

SNSの人間関係を通して、政治のような複雑な駆け引きをしなきゃいけなくなって。

大きな渦のような…自分ではコントロールできない流れに巻き込まれて。

私を頼ってくれる人たちもいて。

短時間で、最適解を見つけ出して、説明して、納得してもらって、実行に移してもらう。

その為に奔走する日々がやってきました。

複雑な関係のもつれもあって、SNSで存在し続けること自体がマイナス要素が大きくなってしまうので、潜るという選択をしましたし。

潜っている間に、私の「抑圧オバケ」が表出してしまって、こうさんに突発カウンセリングをお願いすることにもなりましたし。

結果、ありえないくらいにお互い疲弊して…私は半月ほど、自死の誘惑と戦い続けるという人生初の体験をしましたし。

(この辺りは私個人のお話だけなら、もう少し詳しく記事にしたら…何かの参考になったりするのかな?)

色々と大変な思いもして、悩んで、辛かったりもしたんですけれど。

最終的には、私の「孤独感」の根っこを、こうさんだけには表出することが出来ました。

表出したことで、私は一時的に弱りましたけれど。

それも乗り越えて、自死の誘惑もなんとか乗り越えて。

過程で、SNSを通して出来たお友達に、いっぱい助けてもらいました。

 

私は今、自分ひとりで戦ってはいません。

誰かに自分の道を、一緒に歩いてもらおうとも思ってません。

誰かに決断を委ねようとも思いません。

ただ、ひとりで生きようと強がるのをやめました。

もちろん、辛くて吐き出さなければダメな瞬間もあります。

前は我慢して、抑圧して、爆発するまで抑え込んでいた部分です。

今はそこを、吐き出す「居場所」をみつけました。

一方的ではなくて、私が聞き役にまわることもある。

お互いにちょっとだけ助け合いながら、一緒に前を向ける。

そんな「居場所」をみつけました。

そしたら、まもりたくなりました。

まもるために、私は今、ちゃんと自分を見つめてます。

自分が自分で立って、前にすすむ。

だから、一緒に居られる。

大きなプレッシャーと共に、抱えるものが出来たんです。

強いとか、優しいとか、こだわって遊んでる暇はなくなりました。

どんな私でもいい、前を向くのをやめない私なら。

私は今、私も含めて、みんな光のもとに連れていきたい。

連れていきます。

だから、自分の足で立ってほしい。

一緒に歩きだしてほしい。

そんな風に思っています。

 

押し付ける気はないですよ…念のため。

でもね、自分で立って前を向いて、変わろうとしてくれるなら。

一緒にいこう?

ひとりは寂しいし、不安だから。

それぞれの目標も、歩いてる道も、スピードも違うけど。

一緒に、は可能だよ。

苦しいからって、逃げないで。

その先はとってもまぁるくて温かくて、楽しいから。

自分を諦めないで、ちゃんと考えよう?

自分は、自分にしか救えないから。

 

 

 

はい。

これが、今の私です。

前よりずっと、子供っぽいかな?

でもまぁ、隠すよりも出す方がいいかなぁとも思ったので。

長くて、まとまりなくて、ついでに文章としてクオリティ低いですけども。

取りあえず、思いつくままに書き綴ってみました。

このグダグダ文章から抜き取るとしたら…途中で触れてるけど、「抑圧オバケ」のカウンセリングあたりかなぁ???

かなりなレアケースだという自覚もあるので、参考になるのかどうか危ういですけれども。

そして何より、勝手に書いてしまうのは怖い(笑)

もう少し準備が出来て、許可も貰えそうなら。

また別の記事として、記録として、残しておくかもしれません。

 

長いといいながらも、約3500字程度になりました。

久々の駄文…最後までお付き合いくださった方は、ありがとうございました。

 

心に響いた言葉たち&知識の広げ方

久しぶりにアップするので、ちょっとドキドキ…単に不精なだけなんですけれども笑

まとめたいテーマ・記事はあるんですよ!

でもね、うまく完成しないというか…タイミングが合わないというか…うん。

ということで、この記事はテーマなし・着地点不明の雑記です。

 

今年に入ってから、大事な言葉が増えてるんですよ。

でもちゃんとした文章としてまとめられなくて、どんどん溜まってるので。

なのでアウトプットを兼ねて、覚え書きみたいに残しておこうと思います。

 

 

 

今年の頭に私のパニック的な恐怖を納めてくれたのは、

「起こることは意味のあるものにしなければならない」

っていう言葉でした。

怖いとか苦しいとかのマイナスな感情から、逃げる傾向にある私。

そんな私とは真逆の、苦しさに立ち向かうことを義務付けるような言葉ですよねぇ。

この言葉に行き当たったことで、私の弱さに気付けたし、向き合ったら視野が広がるかも…って思えました、

私の尊敬する人が言った言葉なんですが、どこまでも私の前をすすんでいる、頑固で変わらない素敵な人です。

 

そして先日の舞台にて、毎年聞いていたのに私に違った視点をくれた言葉は、

「周りが見えなくなったらおしまいよ」

でした。

舞台の登場人物の中で、唯一の座長より年上で、距離を保ちながら見守っているオーナー役のセリフなんですけれどね。

今まではあまり深く考えてなかったけれど、その心情がとても良く分かってしまって。

私がなりたい姿に近いんだなぁ…って感じたんですよね。

以前は全く思わなかったので、私が年齢を重ねて大人になったということでしょうね。

 

そして…そのセリフのほとんどが刺さっていた座長の言葉たち。

「俺たちは一つ傷付けば一つ表現が見つかる。ボロボロになる。その分だけ輝けるんだぞ」

「全てを受け入れるさ!」

「走り続ける姿を見せることで(中略)少し違っていたのかもしれない。俺たちの夢は終わらない…」

とかね。

特に2幕は、今までと同じセリフが、全く違う意味をもって聞こえてくる。

私は座長をしているご本人を尊敬していて、追い付けない人だと思いながらも追いかけている訳ですが。

ご本人はプライベートとか、バラエティ番組とかで、情けない面をたくさんみているからか、人間だって認識が出来ていたんですよね。

でも舞台の主役となるキャラクターは、エンドレスになった初期の完璧な設定の演技を見ていたこともあって、私の中で「超人・化け物」として認識されていたようです。

舞台の上で動いているキャラクターとしての彼と、今回初めてじっくりと向き合ったんですよね。

そしたら、私が超人だと思っていた人も人間で、色々な感情や苦悩に揺れながらも何かを掴もうと足掻いている人だった。

この辺りの私の内面的な変化を、1つの記事にまとめたいんですよねぇ…そのうち笑

 

そしてもうひとつ。

「あなたには仲間がいる。それだけは忘れないで」

この言葉もオーナー役のセリフなんですが。

攻撃的な言葉を不本意ながら投げつけてしまった座長にたいして、怒らないで優しく伝えるこの言葉に。

私は大人としての優しさを感じたんですよねぇ。

いつか…こんな大人になりたいなぁと憧れる姿勢です。

 

いくつか挙げたけれど、まとまりないし結論もないので、読みにくいです。

私の中で溢れるものをフィルターにかけないで吐き出しただけって状態だからなぁ。

ホントに覚え書きレベルなんですよね笑

この1週間ほど、アウトプットしきれなくてモヤモヤしてたから、もう我慢できなかった!

そして結論まで導き出す時間も思考も足りなかったということで、お許しを…。

 

 

閑話休題

物語じゃない本について、こうさんと語ったんですけれど。

こうさんは多ジャンルに及ぶアンテナを張ってるし、数もたくさん読んでいて素晴らしい!

私は興味の範囲が特定の数ジャンルに集中してるので、同じテーマで違う切り口の本を読み漁る傾向が強いです。

ハードカバーよりも文庫の方が、寝転んで読めるので楽っていう理由で文庫が多いし笑

それでも好きで読むので、歴史やら地理やらに多少は詳しくなっていったりします。

心理学というより、心理分析の系統も当たったりするので知識は増えました。

それで何を読み解くかというと、推理小説とかクライムサスペンスのドラマだったりしますけれども。

派生で民俗学とか文化人類学とかも興味はあるけれど、私の読み方は俯瞰視点で分析的になります。

もともと苦手じゃない特性を活かして、雰囲気や好悪の感情は無意識に拾えるみたいなんですよね~。

だから論理的な視点で読んで、何冊か読むことで総合的な知識として自分のものにする…ってスタイルになってます。

こういう話をしだすと、止まらないんだよなぁ笑

誰か付き合ってください!←

 

 

さて、今回は雑記でした。

小難しいお話ばかりなので、つまらないって方が多いですよね…ごめんなさい。

真面目なお話をポツポツと仕上げつつ、そろそろ楽しい記事が書けたらなぁと思ってます。

お付き合いくださった方は、ありがとうございました!

ちょっとした「ありがとう」

自分で思ってる以上に、感情の表出が苦手…っていうか、周りの人に伝わりにくいのかな?

なんて考えてますけども。

普通にね、悩むし落ち込むし、グチグチ言ったりグルグルしたりもあるんですよねぇ。

それを外に出すってなると、何かが全力で押さえつけてくるので、言葉にしたり誰かにぶつけたりを躊躇しちゃうだけで。

たまに見せないからすごいねって言われますが、すごくないです。

そこに抑圧がかかってるってだけなんですよ~。

 

さて、先日Twitterにて呟いたんですけれど。

「ありがとう」を、出来るだけ伝えるように心掛けてます。

ちょっとね、説明を端折ってしまったんですよねぇ。

なので改めて、ブログでも書こうかなと。

興味持ってくださる方は、しばらくお付き合いくださいませ。

 

私が「ありがとう」を意識するのは、口癖が「ごめんなさい」だからです。

悪いことをした時や、誰かを傷付けてしまったときの「ごめんなさい」は、当然言った方がいいと思うんですよ。

謝罪することって、あまり良くないという考え方の地域や風習のところもありますけれど。

日本では察することを求められる文化が定着しているのでね。

意地を張ってしまうより「ごめんなさい」と伝えて、関係の改善を図るのがいいなぁと思います。

でも、私の「ごめんなさい」はその例に当てはまらない部分でして。

劣等感や一方的な罪悪感から、相手との関係の為にじゃなくて、自己弁護のためにいう「ごめんなさい」なんです。

よくあるのが「我儘でごめんね」って、要求を通したいときに添えてしまう。

相手が何か反応する前に、先回りして謝ってしまうんです。

無意識にやっていることも多くて、後から気付いてしまった!ってなります。

他にも、過去に自分が傷付いた状況に似た状況だと、相手のことも考えないで謝ってる私がいます。

過去の失敗体験に引きずられて、目の前にいる人じゃない、想像の中の「怖い人」に向かって、謝ってる。

 

逆に、そういう架空の「恐怖」に引き寄せられて、私に対して必要以上に謝る方と接する機会もあるんですが。

そういう方とコミュニケーションしていると、私は怒ってもいないし、その人に困っている訳でもないので、少し困惑してしまうんですよね。

何度かそんな経験を繰り返しているうちに、「ごめんね」だけじゃなくて、その後に「ありがとう」を付けてもらえると、お互いに楽になることに気付きました。

私に謝っているようだけれど、見えない誰かに謝っているんだな。

自分でも嫌だけど、どうしてもやめられないんだな。

でも「ありがとう」は、私に向かって言ってくれたな。

そうお互いに確認できることで、コミュニケーションすることへの緊張感が緩和されるというか。

謝り続ける本人も、必要以上のマイナス感情に緊張しているし。

謝られる方も、心当たりがないので気まずさを抱えてしまう。

そのお互いにあまり望まない緊張状態が「ありがとう」のひと言で、少し改善されるんですよね。

 

私も反射のように「ごめんね」って言ってしまうので、なかなか治せない。

なので、つい出てしまう「ごめんね」の後に「ありがとう」を付けられたら、ちょっといいかも?って思うようになりました。

自分が意識して「ありがとう」を増やしてみたら。

意外とね、不必要な罪悪感が、薄れていくことを発見しました。

「ごめんなさい」を言いながらも、失敗体験を強化してしまっていたんだなぁ…抜け出したいのに、負のループにハマってしまっていたんだなぁ。

そんな風に思い至って、さらに「ありがとう」の大切さを実感して。

今でも「ごめんね」は出てしまいますが、以前ほどの苦悩は無くなった気がしますし。

「ありがとう」のひと言だけで、失敗体験にならないならとってもお得!笑

 

少し自分の中で余裕が生まれると、もう少し見えてくるものもありました。

「ありがとう」って言われて怒る人はいないんですよね。

多少戸惑う人もいますが、決して悪い感情は持たないのです。

なので、人見知りだったり焦りだったりといった、コミュニケーションするときの壁が、少し低くなるんです。

良い効果が増えると、視野も広くなるし、本心からの「ありがとう」になっていく。

魔法の言葉みたいですね笑

なので、私は「ありがとう」って思ったら、どんなにちっちゃいことでも、伝えられるなら伝えるようにしています。

うるさいなぁって思ってる方もいるかもしれませんけれど笑

 

たいしたことでもないお話ですが。

呟きだけでは説明不足だったなぁと感じていたので、こうして記事にした次第です。

お付き合いくださった方はありがとうございました!

 

良い感情も抑圧される

真面目なお話、いくつかテーマを放置してるんですけれども。

急に抑圧に気付いて、おまけに解せてしまった?ので、感覚が新鮮なうちに記事にしておきます。

抑圧されている感情…と説明されると、憎しみや怒りを思い浮かべる方が多いと思いますが。

実は、楽しいとか嬉しい、ワクワクする…みたいな、一般的に「良い感情」とされるものも、抑圧されることがあるんだよ、というお話です。

 

今回の私を例にして、少し具体的な説明をしたいと思います。

まず、私が抑圧していか感情について。

私が1番尊敬してる人が、毎年2ヶ月ほどの舞台をするんですれけど。

その舞台に対する、楽しみで待ち遠しいとか、ワクワクするからどんな感じか知りたい!といった、とっても明るくて良い感情を、無意識のうちに強く抑圧していました。

2005年~2008年頃には、確かに毎年感じていたものです。

「今公演中だな…私も残業頑張ろう!」とか「今日は2回公演の日だから、情報たくさん(ネットに)上がってるかな?」とか、自分のパワーにしていました。

何故、この感情が見えなくなってしまったんだろう?

今日はそのことをずっと考えているんですが…全く思い当たりません!笑

おそらく、何らかの切っ掛け的なものはあるんだとは思うんですが。

全然思い当たらないので、自分で掘り下げるのは難しい案件なんでしょう。

 

どうしてか、は分からないんですけれど。

抑圧されていることが、私にどう作用していたのか。

どうして抑圧するに至ったのか、については、多少の仮説が成り立ちます。

まず、何度かお話しているんですけれど、私は感情の表出が苦手です。

怒りや悲しみを表出するのが苦手だという自覚は、けっこうあるんですけれど。

楽しいとか嬉しいの表現も、人よりも控えめだという自覚は薄かったりするんですよね。

自覚が薄いということは、そもそもの嬉しいや楽しいっていう感情を認知する段階で、鈍いって傾向があるということです。

更に、私は尊敬している人に対して「毒舌愛」なタイプなんですよねぇ笑

整った顔の美形さんなんですが、とにかく好みじゃないので…外見に興味がなさ過ぎて、髪型とか衣装とか覚えてないこともしょっちゅうでして。

グチグチ言いながらも尊敬してるし、好きっていう、面倒な愛情表現をしてしまうんです。

つまり、手放しでスキスキって言わない!カッコいいとかありえない!

みたいなファンなんですよねぇ。

普段の表現が屈折しているので、自分のワクワクを抑圧してるという事実に気付きにくかったんです。

自業自得ですけども笑

 

あとは私が自分に対して、高いハードルを課そうとする特性が影響してるかな?

毎年観に行くほど好きなのに、観劇後は自分のダメさ加減を痛感して、気合を入れなおすっていうのが当たり前でして。

「私はまだまだ…全然ダメだなぁ」とか「座長は出来てるよ!同じ人間なんだから、私も出来るんだよ!」とか、そんな風に自分を叱咤するの。

それが意味あることだから、ワクワクするとか、情報漁るとかの「ファンらしい」行為をしなくても、普通のことだと歪んだ認知を持ってしまっていたみたいです。

ただ単に楽しい・嬉しいと感じることは、悪だという思考が、私の中にあるんでしょうねぇ。

 

あと、私にとっては尊敬する人が絶対的な安全地帯であることも、影響していると思います。

よく目にする「安全基地」とは、少しだげニュアンスが違うんですけれど。

私の1番の依存先である、ということは、確かなんですよね。

大切だからこそ、のめり込むのを「怖い」と思う心理が働いて、距離をとろうとしていた…という側面もあると思います。

2008年に、尊敬する人自身が大きく揺らぐ出来事があって。

本人が揺れていることを敏感に感じ取ってしまって、私もとても不安になったんですよね。

私が弱音だけにならないで、苦しくても前を向こうって思えるのは、尊敬する人が変わらずに居てくれるからなんです。

直接的なつながりがなくても、いつでも存在していて、頑固に自分の信念を貫いてる。

その事実に安心して、私が踏み出すチカラになる。

根底のプロセスが揺らぐと、途端にパニックになるんです。

12月もまさにその状態で、私自身の事情と、尊敬する人の安定が揺らいでいる事実のダブルで私はパニックでしたから。

なので、怖くなって距離をとろうとしたっていう側面は、けっこう大きな要因かもしれません。

 

自覚がないとはいえ、楽しみにする感情を抑圧していて。

それが私にどういう影響を及ぼしたかというお話にいきましょうか。

想像ついてる方もいるかとも思いますが。

うん…単純にしんどいです笑

気分転換の機会を、自ら減らしてるってことですからね。

座長の動きを追っかけてれば、初日だからドキドキして、緊張しながら浮かれてます。

情報収集で面白いネタをゲットすれば、知ることで楽しくなってストレス発散です。

千穐楽に向かっていくカンパニーと一緒に、自分も頑張りがいがあると思いながら日々の生活をするんですよ…その方が楽しいに決まってる。

それらをすべて封印すれば、苦しいんです。

私は何年損をしながら、応援を続けてきたんだか笑

最近…こうさんに依頼してからですけれど。

自分の掘り下げをした際に、確認して同じように探ってくれる人がいる、ということで。

自己分析の精度と進行スピードが上がって、分析結果に自信が持てるようになった。

その為に、ゆっくりですが変化に向けた準備が整っていたってのもあると思いますが。

それにしても、この「抑圧」は全くの予想外でした!

また気付いた瞬間に解れて、ワクワクが押し寄せてくるっていうのも予想外!笑

 

抑圧は複数あるのが当たり前だし、私が生きにくいのだから、けっこうガチガチに抑圧が掛かってることも知ってはいたけれど。

改めて、本当に面倒で厄介なうえに、ココロの働きって面白いですよね~。

だっていまだに、どうして舞台を楽しみにする感情を抑圧したのかが意味不明だもの。

あまりにも生活や私個人とかけ離れてるし、ねぇ?

そのあたり、純粋な興味として仮説ぐらいは立てたいなぁ笑

 

さて、この「良い感情の抑圧」を、ふんわりと記事にしましたが。

こんな…ちょっとオフザケみたいな抑圧もあるんだよって知ることが、何らかのキーになる?

…かどうかは、置いておいて。

原因を知ることや、思考によって解きほぐすことが正解ってわけではないんだよ、という事が、伝わったらいいなぁと思います。

ではでは、このテーマはここまで!

お付き合いくださった方、ありがとうございました。

 

一緒に楽しみたい2ヶ月

自分の衝動的な気持ちが止まらないので、素直に放出してあげることにしました。

呟いただけでは足りなかった…笑

 

本日、この文章を打っているのは、本番直前の時間帯。

これから初日の幕があいて、来月の最終日となる千穐楽まで。

およそ2ヶ月の舞台が始まります。

もう長年、毎年行っている公演です。

私も2005年から、毎年観に行ってる訳ですが。

いつからか、ワクワクやドキドキを抑圧していたみたい。

私の趣味の中でも、1番大切な舞台。

ホントにね、毎年観劇してるのに、毎回刺激を受けるの。

大好きなはずなのに、なんで抑圧してたんだ???

久しぶりに幕があく時間を気にして、情報収集して、落ち着かない私がいるんですけれど。

このポジティブな感情、私にとって悪い方向に働くはずがないものなのにね。

 

舞台なので、カンパニーの皆さんがいます。

今年は初めて加わった演者さんが複数名。

座長はずっと同じだけど、カンパニーは毎年違う。

長丁場だし、1日2回公演の日もあるし。

何より歌って踊ってお芝居してと、やることも多くてハードな舞台です。

2か月間、怪我なく、事故なく、最後まで走り続けるだろうカンパニーを、一緒に楽しみたい!

この気持ち…忘れてたけど、生活の潤いになるし、私も頑張ろうってなるし、積極的に感じていきたいなぁ。

 

少し真面目に考察するなら。

今年は年末年始から、強がって乗り切ろうとする姿を見てきたわけで。

去年がとても大変で、色んなことを考えて、弱気にもなっただろうし、不安もたくさんだっただろうし。

それでも弱音を吐かずに、倒れた…立ち止まった自分たちを自覚しながらも、地に足をつけて立ち上がって、前に進んで。

そうやって乗り越える大切さを見せてくれた。

乗り越えるための、先に進むためのチカラになってるよ、一緒に乗り越えるんだよって、語りかけてくれた。

そんな姿を見てきたから、自覚のないままに心配もあったんだろうなぁ。

不器用だし隠すから、大変なのとか、苦しいのとか見えないんだけど。

実は必死だったってこと、ちゃんと気付いてたんだろうなぁ。

だからこそ、2人ではないこの舞台。

私の尊敬する人が、全力で表現する居場所。

その場所が今年もあることが、嬉しいって気持ちがある。

 

そして、今は安定してない。

改めて自分の無力さを痛感して、それでも逃げられない苦しさも味わって…去年とはまた違った心境で板の上に立つんだろうなぁって。

だから、見届けたい。

一緒に緊張する初日を、遠くからでも味わって。

私も劇場に足を運んでその姿を焼き付けて。

千穐楽を迎えるとき、一緒に乾杯して。

昔は毎年やってたみたいに、座長を応援したい。

そう思えたことと、私の中の変化が、抑圧を解したのかな?

ちょっとずつ変わってるんですよね~、私も。

誰かを頼りにしながらも。

 

ブログを打ってるうちに、開演直前になりました。

うん、ワクワクしてる!

最後まで走り続けられますように。

色気が好きなんです

以前のブログでは、毎回決まった挨拶をして記事を始めてたなぁ…なんて、昔を懐かしみながら、何を書こうか考えてます。

のんびりふんわりな気分なので、硬いテーマと文章から脱却出来るかな?みたいな。

そんな思い付きだけで進めてます(笑)

こうさんから焦らしの指示を頂いているので、あんまり頭は働いてないんですよねぇ。

私は絡みにくいタイプだって言われることが多いので、ちょっとフレンドリーな雰囲気の練習ってことで!

だらだらな雑談にお付き合いくださいませ(笑)

 

友人数名とお話していて「色気」について考えてました。

私ね、色気のある人が大好きなんですよ~!

1人の友人は、色気ってなに?それ美味しいの???状態なんですけれど…

私は色気に敏感だし、好みの色気にぶち当たったら遠慮なく、舐め回すようにガン見して、挙句の果てにはテンション上がって語りだしたら止まらない系…(笑)

そんな私のどストライクは、渋みある色気と、艶っぽい色気だったりします。

キュートでセクシーな女の子も大好物なんですけどね~。

男性だと特に、落ち着いてたり、雰囲気のある色気が大好きです。

 

もう数年にわたって、私のお色気ナンバーワンは海外の俳優さん。

映画やドラマで活躍していて、実力ある性格俳優さんなんですけれどね。

その方…ジェームズ・スペイダーの個性と、色気ある仕草に夢中です。

お若い頃はシュッとしたエリート役が多かったんですが、近年はかなり個性的かつシニカルな役柄を演じてます。

私が好きなのは後者ね、やっぱり。

ボストン・リーガル」って海外ドラマで主演してて、その作品を見たのがきっかけでした。

所謂アメリカのナイスガイって人じゃないんですよ、彼は。

でも、回数を重ねるごとに彼の魅力にハマっていって…シーズン1が終わるころには、彼が素敵で格好良くて、理想の人だ!みたいになってました(笑)

最近は「ブラックリスト」という作品で、彼の演技をたっぷり堪能してます。

ドラマで知って、好きになったら気になって。

過去の映画作品も、いくつか探してみてみたんですけれど。

変態チックな役柄が多い!(笑)

主演男優賞をとった作品は「セックスと嘘とビデオテープ」って、タイトルからしインパクト大な映画だし。

「セクレタリー」は、もろにSMをテーマにした作品だし。

ラブシーンも多いので、彼の手の動きや表情が色っぽくてたまらない!

あんな風に触れられたいなぁ…愛情こもってるなぁ…ゾクゾクしちゃうんだろうなぁ…って感じで、陶酔しちゃいます。

若い頃よりもドラマの…40代以降の彼が好きなのですが、最近の作品では艶っぽいシーンが少ないので、妄想で補ってます(笑)

今の彼は演技派さんなので、私の願望がズレてるだけなんですけれどね~。

 

あんまり呟かないけれど、こうさんも色気たっぷりの手だなぁって思いながら眺めてます。

私の場合は、あの手にイロイロとされたことがあるから余計にかもしれないけど(笑)

…手とね、目に弱いです、私は。

恥ずかしくなっちゃうので、見つめ合うとか苦手ですけれどもね。

私の感覚なのですが、妖しく目の色が変わる瞬間があるんですよね~。

その目で見られるともうダメなんです!

艶を含んだ目で見られながら、手が動く…なんて、もう!!!

そんな想像をするだけで、ゾクゾクが止まらなくなっちゃいます。

フェティッシュな嗜好が反映されてるんでしょうね、手に弱いあたりは。

……なんでこんな、恥ずかしいことを文章にしてるんだろう、私は(笑)

 

色気ってその人の魅力をみせる、1つの手段ですよね~。

演出方法を知っていて、自在に操れる方の色気は本当に素晴らしい!

無自覚に溢れてしまう色気も、これまた素晴らしいですし。

私は妖しくてやらしくて、そういう方面が大好きな人種なので。

普段からこんなこと考えてるよ~、みたいな記事になっちゃった。

徒然で考えてたけど、内容的にこの記事は妖しいカテゴリだな、うん。

どなたか、色気のトーク…一緒にしませんか?(笑)